2009年10月30日

■芽生

この時期。――
竜馬の人生への基礎は確立した。勝に会ったことが、竜馬の、竜馬としての生涯の階段を、一段だけ、踏みあがらせた。
(人の一生には、命題があるべきものだ。おれはどうやらおれの命題のなかへ、一あしだけ踏み入れたらしい)
このとし、竜馬二十八歳。
まったく晩熟である。すでに、のちのち竜馬とともに維新成立に活躍する長州の久坂玄瑞、高杉晋作、桂小五郎、薩摩の西郷吉之助、大久保一蔵などは、それぞれの藩の立場から「国事」に奔走しているのに、竜馬は、
「一歩」
のぼっただけである。しかも倒幕志士であるはずの竜馬が、幕臣の勝海舟に見出されたというえたいの知れぬ「一歩」を。

−『竜馬がゆく』三巻より−
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2009年10月28日

■毒

「竜さん、ひどいよ」
と、これは千葉道場の重太郎の部屋。
さな子もいた。
庭いっぱいに、晩秋の陽がさしている。
「………」
「あんたァ、私があの奸賊を斬ろうとしていると、いきなり出鼻をくじいて、弟子入りをしてしまったじゃないか」
「まあ、堪忍してくれや」
竜馬はぺこっと頭をさげ、顔をあげるといきなり、
「しかし勝麟太郎というのは、日本史上最大の大豪傑だぜ」
と、ぬけぬけといった。
「重さん、良薬ほど毒性があるよ。英雄というのは国家の無病息災なときには無用の毒物だが、天下厄難のときにはなくてはならぬ妙薬だ。人間の毒性ばかりをこせこせと見るのは小人のすることで、大人はすべからく相手の効能の面を見ぬかねばならん」
「そういえば竜さんも毒物だな」
「毒物と毒物の対面だったよ」
「いやンなるねえ」

−『竜馬がゆく』三巻より−
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2009年10月27日

■縁

勝は、しきりと外国のはなしをした。
ところが、竜馬とはまったくちがう受けとりかたをしているのが、竜馬の横にいる尊王攘夷主義者の千葉重太郎である。
(やっぱり夷臭の男だ。こいつを一刀両断せねば日本はどうなるか)
「勝先生っ」
重太郎は膝をにじらせた。その殺気、脇差で抜き打とうとしている。
瞬間、それを察し、竜馬は勝にむかい、大きな体を折って平伏した。
「勝先生、わしを弟子にして仕ァされ」
機先を制せられて、あっと重太郎がひるんだ。いや勝自身が、ぽかんと口をあけきったままである。勝は、竜馬が奇略で自分を救ってくれた、と事情がわかるまでにだいぶ時間がかかった。

−『竜馬がゆく』三巻より−
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2009年10月26日

■逢遇

勝はこの当時、二ノ丸留守居格で軍艦頭取、布衣、といった幕府の顕官である。その大身の男が、
「何だい、お前さんら」
と、下世話な言葉をつかった。
「は?」
と重太郎がききかえすと、
「なぜ刀をそっちへやってるんだ。もっと膝もとに引きつけておかないと、勝麟太郎は斬れないよ」
「………」
「斬りに来たんだろう。はっははは、お前さんらの面に書いてある。おれもすこしは剣術をやったんだが、お前さんらの眉間をみるとちゃんと殺気が出ている」
「へーえ」
竜馬はおどろいて顔をなでた。

−『竜馬がゆく』三巻より−
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2009年10月25日

■粋

「どうだ、重さん、やるからには、築地の橋で待伏せなんてのはやめよう。あれはどうも」
「どうも?」
「みじめすぎるなあ。もっとも刺客てのは、本当は、虫ケラのような人間のやることだとおれは思うけれど」
「竜さん」
「いや、待った。やるよ、おらァ。やるといったら坂本竜馬、きっとやる」
「それで安堵した」
「だが、待伏せなどはせず、真昼間、堂々と勝の屋敷に案内を乞い、勝に会い、それでけしからんのなら、その場で一刀両断しよう。男というのはそうあるべきものだ」
「ちがいない」


−『竜馬がゆく』三巻より−
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2009年10月24日

■胸痛

(おれは、ここへは入所れぬのじゃ)
竜馬は、胸を締めつけられるおもいで、歩いた。
幕府の軍艦操練所は、幕臣の子弟にのみ門戸をひらいている。
ただし大名の家来でも「その主人が格別に見込んだ者」ならばゆるされる。
が、竜馬は、土佐藩士であっても、郷士である。上士でなければ藩では推薦してくれないし、たとえ郷士でもいいとしても、脱藩の身である。
「重さん」
と、ふりかえった。
「勝なんぞを殺すよりも、人おのおのが志を遂げられる世の中にしたいものだなあ」

−『竜馬がゆく』三巻より−
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2009年10月23日

■驟雨

「重さん」
竜馬は、あおい空を背景にした、その船体を指さした。
「なんだね」
「おれは、あんな船がほしいんだ」
「………」
重太郎は、竜馬の顔をじっとみている。
「あんた、気はたしかかね。われわれは軍艦奉公並勝麟太郎を刺そうとしているんだぜ」
「そうだった」
「しっかりしておくれよ。北辰一刀流の腕が泣くぜ」
「しかし北辰一刀流ではあの軍艦は動かせないよ。動かせなきゃ、国が守れないし、幕府も倒せない」
「竜さん」
不快な顔をした。
重太郎は、ご多分にもれず、大の西洋ぎらいである。幕府が外国に媚びてあんな洋船を仕入れているということも許せないし、その西洋化の元兇が勝だと思っているのだ。
「竜さん、あんた、腰がくだけたか」
「わしの腰はいつでもくだけている」
竜馬は、重太郎の相手にならず、練塀にそって岸壁へゆっくり歩いた。
この軍艦操練所が、維新後、海軍兵学校に発展するのだが、それはどうでもいい。
竜馬は、軍艦を学びたい。
が、それをはばんでいるものがある。
幕府である。
家康以来の、極端な門閥主義であった。

−『竜馬がゆく』三巻より−
posted by やま at 23:47| 【竜馬がゆく】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月22日

■流言

「なるほど勝を殺るとはねえ」
竜馬はあごをなでた。
「いやかい?」
「まあ重さん、一ツ」
竜馬は銚子をとりあげながら、
「いったい勝海舟とはどんな男だ」
と、とぼけてみた。
「奸物さ」
重太郎は単純である。
竜馬はにこにこ笑って、
「そうだろうとも。いやしくも故周作大先生の甥御千葉重太郎が天誅を加えようとするほどのやつだからな。天人ともにゆるしがたい奸物に相違ない。つらなんぞも大江山の鬼とどっちだ」
「竜さん」
重太郎は、いやな顔をした。からかわれているとおもったのだろう。
「重さんは勝の顔を知っているのかい」
「知らないよ」
重太郎は、ぷっとふくれた。

−『竜馬がゆく』三巻より−
posted by やま at 23:35| 【竜馬がゆく】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月21日

■口火

「そうそう、そうだった」
重太郎は、肩で笑って、膳の上の杯をとりあげた。
それをぐっと干してから、竜馬に渡し、
「ところで竜さん、相談がある」
「どんなことだ」
竜馬は、さな子に注がれながらいった。
「重大なことだ。賛成してくれるか」
「ああ、するとも」
「簡単だなあ。事は人の一命にかかわることだぜ」
「それァそうだろう。武士が重大なこと、というのは、みな生命にかかわったことだ。わしの命をとる、ちゅうのかね」
「それでも賛成するか」
「わしは何にでも賛成する男だよ」
「あっははは」
重太郎もばかばかしくなった。
「竜さんにはかなわない。何にでも賛成して何にでも命を投げだしてしまうのか」
「ああ、どんどん投げだしてしまう」
「いや、おどろいた。風呂桶の焚き口へむけて薪ざっぽうでもほうりこむようないい方だな。しかし竜さん、薪は薪屋に行けば何束でもあるが、命は一つしかないんだぜ」
「一つしかないからどんどん投げ込むんだ。一つしかないとおもって尼さんが壺金でも抱いているように大事にしていたところで、人生の大事は成るか」
「言うねえ」

−『竜馬がゆく』三巻より−
posted by やま at 23:14| 【竜馬がゆく】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月19日

■希求

竜馬は脱藩の日、才谷山にのぼって祠の中に入り、心ゆくまで酒を飲んだ。
――のう、明智左馬助さまよ。
と心中、祖先の霊をよび、さらにわれいさんの神霊にもよびかけて、
――人の命は短いわい。わしに、なんぞ大仕事させてくれんかネヤ。
と頼んだらしい。

− 『竜馬がゆく』 二巻より −
posted by やま at 21:56| 【竜馬がゆく】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする